前妻との離婚① 帰宅したら人の気配のない我が家 

もう五年以上前のことなんで正直あまり覚えていないんですけどつらつらと綴っていこうかと思います。

気分を害される方もいらっしゃると思いますがお付き合いください。

仕事から帰宅すると明らかな違和感

あの日もいつものように仕事を終え帰宅すると家に入る前から明らかな違和感がありました。

いつも点けてくれているはずの玄関の灯りは消えてるし人影もない。

部屋の鍵を開けるといつも出迎えてくれる子供もいない。

何だか見慣れた景色が殺風景になっている気がする。

すぐに確信しました。

出て行ったんだ、、、

おそらく必要最低限の荷物を持って出て行ったのでしょう。

いつものように荒れた部屋、重なったゴミ袋。取り込んでそのまま散らばっている洗濯物。

一見違和感はないのだけれど子供がいつも大事にしていた抱き枕は置いてある。

夏も冬も外出する時も常に抱えていた抱き枕。

クローゼットは荒れて夏物の服だけが残っている。確か11月くらいだったんで。

悲しいけれどその頃の夫婦生活は破綻していました。私たち夫婦は子供がいるからかろうじて繋がっているようなものだったんです。

それでももちろん心配はするから連絡してもつながらない。

とりあえず妻の実家へ車を走らせる。

チャイムを鳴らすと義理の母が対応してくれました。TVとかででよく耳にする

『今はそっとしといてあげて…』の言葉。

とりあえず『よろしくお願いします。』と頭を下げ、どちらにしてもその日は会話は出来ないだろうと思って帰宅しました。

実家なら子供は無事だしお互いの冷却期間にもなるだろうし。

破綻していた夫婦関係

どうしてこうなったのか?

一旦振り返ってみます。

勿論妻が子供を連れて出て行くとはそれなりの理由があったんでしょう。

妻が出て行く一年ほど前から私たちは毎日のように言い争いが絶えませんでした。

お互い若くして勢いみたいな感じで結婚したし話し合うきっかけも失ってしまっていた頃だったので。

例えば、先ほどいつものように荒れた部屋、重なったゴミ袋。取り込んでそのまま散らばっている洗濯物。と述べたように妻は基本家事が苦手でした。

そして恥ずかしながら私も家事は苦手でした。

当時は仕事に追われすぎていてとても手伝う余裕もなかったので荒れ狂ったような家に帰るたびに絶望していたことを思い出します。

妻は仕事をしていなかったし私は休日も返上で働きに出ていることも多かったのでどうしても我慢できなった。

もう、帰れば毎日喧嘩ですよね(笑)

『どうして何もしてくれないんだ!』『どうして手伝ってくれないの!』押し問答。

正直私も文字通り身を削って働いてたから自分を棚に上げて、時に傷付ける言葉も吐いてしまったし。

今だから思えることだけどもう少し家事や子育てへの理解があればよかった。

『男は働いてなんぼだ!』なんていう昭和の意識に囚われすぎていたんですよね。

しっかり話し合えばよかったんですけど、当時はまだ若くて気持ちをぶつけ合うばかりで

お互い疲弊しきっていたんだと思います。

そりゃうまくいく訳ないですよね。。。

妻の容量が先に限界に達してしまったんでしょう。

お互い子供を思う気持ちだけは大事にしていた。

だけどこんな生活ではいずれこういう日が訪れることも心の片隅では考えていたのですが

その時の私にとってはまさに『青天の霹靂』でした。

妻子に逃げられる男性心理なんてこんなもんですかね(笑)

子供に会いたい思いで冷静さを失った後悔

それからは毎日子供の事が頭から離れませんでした。

何をするにも無気力で社会人として失格なんですが仕事も手に着かない。

当り前にあった子供の笑顔がない一人の家。辛くて辛くて仕方がなかった。

やっと電話で連絡が取れたのは一週間ほどしてからだったかな?開口一番で

『離婚してください。子供は私が預かります。養育費は請求します。子供には会わせません。』

…………

『ふざけんな!!!』

アパート中に響き渡る声で叫んだと思います。

『これ以上話すことはないので何かあれば弁護士を通してください』的な言葉を言われて切られた気がします。

その後はずっと電話も通じずで、話し合いすら出来ないのか?子供は?弁護士って何よ?

何しろその時は子供と会えなくなる恐怖でどうしていいか分からなくなっていました。

だって普通に暮らしていて弁護士さんのお世話になるなんて思わないじゃないじゃないですか?

昔はそんな言葉あったのか知らないけど今でいうとこの

実子誘拐 というやつですね。

混乱していたし話し合いには応じてくれないし何が何だか分からないまま時が過ぎて行った記憶があります。

今思えば弁護士さんに相談しておけばよかった。

ただ本当に仕事も忙しくて抜けられなくて言い方悪いけど一方的に前妻に電話を掛け続けるくらいしか出来なかったんですよね。

3ヶ月ほどしてから連絡があったのかな?

おそらく子供がパパに会いたいと言ってくれたのが効いたんだと思います。

それからは親権の件で直接話せるようにはなりました。離婚は避けようがなかったので。

結局半年くらい本人同士で毎回押問答が続いて、その間は子供にも会えませんでした。

私が根負けしてしまったのは

『早く決めてください。子供は養育費を頂ければ月に一度会わせます。

その一言。

もう少し考えればよかったんですが冷静になれなかった私は『子供に会える』もうそれだけでよかった。何も考えずに承諾してしまった。

離婚届が届いて判子を押して役所に提出してしまった。

取り返しのつかないことをしてしまったと気付いた時には遅すぎました。

皆様もし同じ立場に立ったら一旦頭を冷やして冷静に対応してください。

弁護士さん立てるなどして証拠を残しておかないと取り返しのつかないことになります。

いろいろフラッシュバックしてきてしまった。。。

続きはまた書きます